この4月だったか、毎年地元の町会の神輿を担いでいる通称「だっぺ」のオバちゃんが、自分が氏子だというので、蔵前の神輿を担がないかと町内睦の亀友会に声を掛けてくれた。
鳥越様の千貫神輿(台輪寸法4尺5寸)程ではないらしいが、榊神社というお宮に立派な本社神輿があるとのことで、ここ数年担がれていなかったものが、久しぶりに巡行するらしい。是非担がせてもらいたいと思い、神社にお参りするなど確かめてみたが、その後だっぺさんが入院してしまい、音沙汰なくなってしまった。
祭礼のこの土日は、子どもの運動会やら風邪やらで結局担げには行けなかったが、気になって自転車で様子だけ見に行ってみた。榊神社は正式には第六天榊神社といい、6月の最初の土日が祭礼で、大祭は隔年、景行天皇の時代、日本武尊が東夷征伐の折に創祀したという伝えなので、相当古い神社らしい。本社神輿が出るのは6年ぶりとのことだ。
11時半ごろ、江戸通りと蔵前橋通りの交差点(蔵前一丁目)を過ぎたあたりを通ったところ、ちょうど巡行中のところだった。
遠めに見ても4尺は優にありそうな立派な神輿。おそらくこれが本社神輿だろう。半纏の色はお揃いであるが、背中の文字を良く見てみると、殆どが「宮元」で、たまに「蔵壱」、「七耀会」の文字が見える。「蔵壱」はもちろん蔵前一丁目町会のことだろう。おそらく江戸通りを越え蔵壱から宮元の担ぎ手に引き継がれたのだろうか、あるいは蔵前一丁目≒宮元なのかもしれない。
神輿の屋根をみると○(星)が7つあるので、榊神社の紋は「七耀」なのだろう。「七耀会」というのはこの神社の氏子の会のようなので、通しで付いているのだろうか。
半纏の色を「日本の伝統色」で確かめてみた。御納戸(おなんど)色に、鼠(ねず)、錆びが加わった感じだろうか、渋い色だ。
狭い道に入ってしばらく行くと宮元の神酒所があり、そこで休憩になった。近づこうと思ったが、6年ぶりの宮神輿渡御だけに担ぎ手が神輿から離れようとせず、周囲にも道幅一杯に担ぎ手が広がり神輿に近づけない。しかたなく地元の方らしい雰囲気の方にいろいろ尋ねるが皆さん神輿のことは詳しく分からない。
屋根と台輪の寸法差があまりなく、屋根の深い重厚なつくりだ。通常縦に5段の瓔珞が交互に7段ある網状なのが珍しい。
後でしらべると、台輪寸法4尺2寸、高さ8尺程らしい。大正15年、神田元岩井町柏原甚吉の作という。
ふと宮元の神酒所前の路地を見ると、宮元と書かれた神輿があった。街に貼ってある祭礼の案内を見ると、午前中が本社神輿、午後は宮元の神輿が巡行するようだ。
台輪寸法を指を開いて測らせていただくと、約3尺2寸といったところ。地元亀沢四丁目の神輿とほぼ同じくらいだろうか。
※2010/6/9追記 台輪は3尺1寸、宮元町会は、蔵前1丁目と浅草橋三町会の連合とのことでした。
正面と後ろの二方扉なので町神輿であるが、延型の軒、一重の台輪、屋根の照り(てり)起り(むくり)がはっきりして深いところは本社神輿に良く似て重厚なため、小ぶり宮神輿といった趣がある。
宮元の神輿以外にも精華、柳浅など計6基の町神輿があるそうで、どれも重厚な雰囲気の神輿だ。
※2010/6/9追記 寿三町会、新福富町(寿一丁目)は台輪3尺ということでした。
神輿の後を、白馬(あおうま)に乗った神主らしい方がついている。笠を差すお供を含め昔ながらの装束で実にいい感じだ。
この馬の色を見て、「白馬」と書いて「あおうま」と読むことを思い起こした。「しろうま」「はくば」と言うよりも「あおうま」という方がしっくりくる。昔 ながらの読みに合点がいった。
足元が白いスニーカーなところが「惜しいな~!」という感じ。木靴とはいかないまでも、せめて白足袋と草履くらいは履いて欲しい。
馬に乗り降りする台を運ぶお供の人も。
今年は担げなかったが、再来年の大祭には担げるだろうか・・・
再来年の平成24年は地元牛嶋神社の5年に一度の大祭なので、是非その前に担がせていただきたいものだ。
コメント
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