なんとなく目出度い数字が並ぶ平成22年8月22日の日曜、うそ鳥、亀、藤などで有名な亀戸天神の、4年に一度の大祭ということで、日ごろ行き来のある立川4丁目、緑町3丁目に神輿担ぎのお手伝いに伺う。
合計22基(宮元会、太平会の番外2基、立川・菊川を中心とした南部7基、緑町と両国方面を中心とした西部7基、江東橋・錦糸などの東部6基、)が神社まで渡御し、順番に宮入りする。順番は25番まであるが、4、9番を飛ばしているので25基あるわけではない。
今年の宮入順は下記の通り。350年程の歴史の中で、宮入順は何回か変わっているようであるが、この順番がどのように決まっているのか、どの程度固定的なものなのかなど詳細は不明。
【南部】
- 番外1番 宮元会
- 番外2番 太平会
- 壱番 立川三
- 2番 菊川三
- 3番 立川四
- 5番 立川一
- 6番 菊二睦
- 7番 菊川一
- 8番 立川三
- 10番 相一会(現在の町会は両国)
- 11番 小泉会(現在の町会は両国)
- 12番 両国四
- 13番 緑三
- 15番 緑四
- 16番 緑一
- 17番 緑二
【東部】
- 18番 江東橋二
- 20番 亀戸一
- 21番 江東橋一
- 22番 江東橋三
- 23番 錦糸四
- 25番 江東橋四
こうしてみてみると、氏子の町会は殆どが本所南部、今の墨田区内であることに気づく。神社のある亀戸は江東区だが、江東区の町会は東部の亀戸一丁目だけである。広い亀戸地区は香取神社、天祖神社、水神社などの氏子になっているようだ。
神社が建てられた江戸時代初期には、本所南部はまだ低湿地で街としては出来上がっていなかったそうなので、街が開かれるか拓かれないかの頃に天神様が来られ、産土神の居なかった町民達が、「我らの氏神様」とばかり地域をあげて一斉に氏子になったのではないかと、想像してしまう。あるいは学問の神様だけに、本所に多く住んでいた下級武士たちが支えたのだろうか。
南部地区の7基と番外2基は、三ツ目通りに集合し、神社までの3km強を渡御する。馬車通り(旧千葉街道)を東に、両国高校横の黒門通りを北に、京葉道路を東に、錦糸町駅前で折れて四ツ目通りを北上、オリナスの角で蔵前橋通りを東にとジグザグに進む。神社近くで順番待ちをする以外に、休憩は2回ほど。
私たちが担がせていただいた立川4丁目の神輿は台輪寸法3尺の大神輿なので、休みが少ないのは正直ちょっとつらい。町内半纏を着ていたのでもっぱら花棒を担がせていただいたが、ズシリとなかなかの担ぎ応え。というか3分持つかどうかというウルトラマン状態。情けないが「エア神輿」が得意な睦なので・・・
そういえば、西部のどこかの町会が途中でリタイアしたという噂を聞いた。天神様は、どこの町会も町内の担ぎ手不足で困っているようだ。我が町会の神輿も3尺2寸と大きいものなので、担ぎ手が少ないとちゃんとした宮入ができなくなる。日頃の町内活動や、陰祭での盛り上げ、特に人口の過半を占めるマンションを中心とした新入住民を巻き込むことが大切だ。新住民はどうしても遠慮がちなので、排他的な雰囲気を微塵も出さず、気さくに参加してもらうよう注意しなければならない。
南部地区の神輿が揃う集合地点で、少し時間があったので各町会の神輿の写真を撮らせてもらった。残念ながら番外1番の宮元会は既に出発してしまっていた。
番外2番 太平会
作ってから今年3年目の新造神輿で今年が初の宮入らしい。鳳凰の羽や尾の広がり方が珍しい。寸法は「2尺5寸らしい」と言っていた。中が膨らんだ太鼓型の台輪なので、もう少し大きい印象がある。
壱番 立川三
濃縮というか贅が凝縮された感じ。
2番 菊川三
2番以降は、独特の梅鉢が鳳凰の足元を飾る。
町内半纏の色が、浅縹(あさはなだ)色というのだろうか、珍しい色だった。(日本の伝統色)参照
3番 立川四
台輪寸法3尺と立派な神輿。
5番 立川一
壱番の立川三もそうだが、唐破風は華麗な印象を与える。こちらは梅鉢、二重台輪でさらにゴージャス。
6番 菊二睦
とてもキラキラと傾(かぶ)いたバサラ的、密教的な雰囲気の神輿。金属製の神輿らしいが珍しい。こちらは鳳凰は居らず、梅鉢が載る。
7番 菊川一
神輿も台棒も白木作り。白木のものは彫り物に凝っているものが多く、高級感がある。唐破風、鳳凰の梅花、二重台輪。
8番 立川三
小ぶりながら、唐破風、二重台輪と装飾は華麗。